まこっちゃんのそれなり日記

才能なしキャリアなしの30代男が気になったことについて書く雑記ブログ

炭鉱と怪談

8月に入ってからというもの、連日暑い日が続いております。皆さん、体調など崩されてはおりませんでしょうか?

 

さて、日本の夏の風物詩と言えば、やはり怪談でしょう。

 

1年中怪談を読み漁っているオカルトマニアの私としましても、夏はより一層、怪談欲が増してまいります。

 

んで、最近、テレビや書籍など、各方面でのホラーエンタメを手掛けている「怪談社」が出した『忌み地』という本を読みました。

 

内容としては、怪談社の方々が全国各地を巡って蒐集した怪談話をまとめた、所謂、実話怪談ものになるのですが、読み終えてふと気になった点がありました。

 

※ネタバレあり

 

 

 

『忌み地』と『残穢』

先にも書いたように、『忌み地』では、著者がいろいろな地域で人から聞いた怪談を順に紹介していくのですが、終盤ではとある地域の炭鉱にまつわる話が出てきます。

 

具体的な地名は伏せられていますが、その地では戦後の時期に炭鉱の町として経済が回っていた時期があり、そして、炭鉱事故で多くの死者が出ていたのだとか・・・

 

そして、この「炭鉱事故」が、それまでの複数の怪談をつなぐキーとなってきます。

 

どこぞの銭湯で真っ黒な姿の男の霊を見たという話、古い家の地下空間で顔が煤けた男がこちらを見ていたという話・・・

 

 

 

これって、何年か前に映画化もされたホラー小説『残穢』とすごく似てるんですよね。

 

『残穢』は、実話怪談作家である主人公が、様々な怪談話のいわくを辿っていくうちに、複数の怪談の大元となる福岡の旧家に辿り着くというもの。

 

そして、この旧家というのが、かつて炭鉱のオーナーだった人物の家だったわけです。

 

その炭鉱では火災事故が起こり、炭鉱夫たちがまだ中に残っているにもかかわらず、火災の鎮火のために入り口を塞いでしまいました。

 

こうして炭鉱夫たちの怨念は土地や人を介して、各地に「穢れ」として広まっていくことになります。

 

ちなみに、実話怪談である『忌み地』に対して、『残穢』の方はフィクション作品ということになっていますが、一部のファンの間では「実話なのでは・・・?」とも囁かれています。

 

 

炭鉱事故

たった2作品とは言え、どちらにおいても「恐怖の震源地」扱いされている炭鉱にまつわる怪談。

 

今も現役の炭鉱は、釧路にある「釧路コールマイン」だけとなっているようですが、戦前戦後の頃は全国各地に1000を超える炭鉱があり、調べてみると、たしかにそういった話が生まれるには十分な労働環境だったようです。

 

特に戦前の頃は、詐欺まがいの手口で借金を背負わされた人たちが、命の危険がある劣悪な環境下で長時間低賃金で働かされているケースも少なくなく、逃げ出す人もいたのだとか・・・

 

そして、まだ安全意識や設備が不十分だった時代のこと、やはり悲惨な事故も多かったようです。

 

長生炭鉱水没事故

長正炭鉱は山口県宇部市にあった海底炭鉱で、多くの朝鮮人労働者が働いていました。

 

1942年2月3日、この炭鉱で水没事故が起きます。

 

沖合1kmの坑道で発生したこの水没事故により、183人の炭鉱夫が犠牲となり、そのうちの140人近くは朝鮮人労働者だったとのこと。

 

そもそもこの坑道は海底炭鉱としては浅く、それまでも浸水事故がたびたび起こっていたそうで、そのような状況を知る日本人炭鉱夫は働きたがらなかったようです。

 

そこで、事情を知らない朝鮮人や、強制連行した朝鮮人を劣悪な環境下で働かせていたのだとか。

 

犠牲となった方々の遺体の多くは、事故から78年もの時間が経った今でも発見・収容できていないそうです。

 

 

三井三池炭鉱炭塵爆発事故

1963年11月9日、福岡県大牟田市の三井三池炭鉱で炭塵による粉塵爆発事故が発生しました。

 

この事故は、石炭運搬用のトロッコの連結が外れて火花を出しながら脱線・暴走し、これにより大量の炭塵が坑内に蔓延、引火爆発を起こしました。

 

当時、坑内には1400人ほどの労働者がおり、そのうち458人が死亡、救出された940人のうち839人が一酸化炭素中毒になり、後遺症に苦しみました。

 

戦後最悪の炭鉱事故とされるこの事故は、その後家族・遺族と三井三池炭鉱側が裁判で争うことになります。

 

当時、九州工業大学教授であった荒木忍氏は、炭塵爆発防止策としての炭塵除去を怠ったこと、コスト削減からトロッコの劣化部品交換を怠ったことなど、生産第一主義による安全軽視が事故の原因だったとしています。

 

それに対して炭鉱側は、不可抗力による事故であるとして、争う姿勢を見せていました。

 

不可解なことに、当初、福岡地検は荒木氏の鑑定結果をもとに、三井三池炭鉱幹部を起訴しようとしていましたが、起訴に積極的な検事が突然、多数転勤させられることとなります。

 

その結果、新たに構成された福岡地検の検事らは、事故原因の科学的な立証はできないとして、幹部らを不起訴処分としてしまいました。

 

 

北炭夕張新炭鉱ガス突出事故

この事故は1981年に北海道夕張市の北炭夕張炭鉱で起きた事故です。

 

1981年10月16日に起きたこの事故では、坑口より3000mほどの地点で掘削作業中にメタンガスが噴出。

 

当時作業を行っていた160人のうち、77人は自力で脱出、もしくは救助隊によって助け出されましたが、33名は遺体で収容され、その他にも坑内には10名の遺体が残されていました。

 

これらの遺体は、ガスによる酸欠死や粉塵による埋没死だったと言います。

 

さらに、ガス事故発生から数時間後には坑内火災も発生、労働者の救出に入った救助隊員や保安員なども連絡が取れなくなり、2次災害の様相を呈してきました。

 

ここで会社側は、「被害を最小限に食い止めるため、坑内への注水による鎮火を検討します。

 

中にはまだ大勢の人が残っており、家族らからの反発もあって、一度はこの注水計画は撤回されましたが、事故発生から6日後の10月21日、中に残った安否不明者の生存可能性はないと判断され、当初の計画通り、水が流し込まれることとなりました。

 

その後、排水作業が行われ、遺体の収容作業が再開されましたが、坑内はかなり荒れ果てており、作業は難航。

 

最後の遺体が収容されたのは事故から163日も経過した1982年3月28日、最終的な死者数は93人にのぼったということです。

 

 

炭鉱と怪談

いざ調べてみると、これだけ死亡事故が多くても、炭鉱にまつわる怪談は思ったほど多くはありません。

 

現に、先述の三つの炭鉱事故現場にまつわる怪談もほとんど見受けられませんでした。(心霊スポット扱いされていても、実際に霊が出るという話はほとんどないようです)

 

しかし、怪談と場所を繋ぐのはいつの時代も「死」や「凄惨な事故」であり、夕張市の雄別炭鉱跡地など、かつての事故が語り継がれ、心霊スポットと化している炭鉱があるのも事実です。

 

過剰に「いわく」を作り上げる必要はありませんが、戦争の記憶のように、そういった歴史もあったのだということを意識するということも大切なのではないでしょうか。