戦争を伝える人々【戦場ジャーナリスト、戦場カメラマン】
私たちの住む日本は1945年の終戦以降、戦争をしていません。
しかし、未だに世界中のあらゆる地域で戦争が続いていて、多くの人命が失われています。
そして、私たちは安全なところにいながら、テレビや新聞、インターネットなどあらゆるメディアを通じて、そのことを知ることができます。
そこには戦場の情報を伝えるジャーナリストやカメラマンの方々の、命がけの取材活動があります。
ごく一部にはなってしまいますが、今回はそんな戦場を取材する方々について書きたいと思います。
橋田信介さん
橋田信介さんは1970年に日本電波ニュース社に入社したことをきっかけに、報道の道へと進むことになり、同社社員時はベトナム戦争などを取材しました。
その後フリーへと転身してからはバンコクを拠点にし、湾岸戦争、カンボジア内戦、パレスチナ内戦など、主にアジアでの戦争報道に携わります。
2003年にイラク戦争が始まると、その取材もするようになります。
橋田さんはアメリカのイラク攻撃と、自衛隊派遣の判断を下した日本政府に対しては批判的な態度をとっていました。
2004年、イラク戦争取材時に、バグダッド付近のマハムーディーヤで襲撃を受け、同行していた甥の小川功太郎さん(当時33歳)とともに殺害されました。享年61歳でした。
橋田さんらは、取材中に現地で知り合った、戦闘に巻き込まれ左目を失明した少年が日本で治療を受けられるように、静岡県沼津市の病院に入院させる準備を進めていました。
そして、少年を入院させるべく迎えに行った際に襲撃を受けました。
その後、少年は来日し、治療を受けることができました。
この件に関しては、イラク国内でも橋田さんらを殺害した犯行グループに対して避難が起こり、犯行グループが謝罪声明を出すに至りました。
「生きていれば時々、楽しいことがある。だから生きてほしい。」
橋田さんの遺した言葉です。
渡部陽一さん
渡部陽一さんは、学生時代にアフリカの狩猟民族に興味を持ち、コンゴ民主共和国に赴きました。
しかし当時はルワンダ紛争の真っ只中で、渡部さんもルワンダの少年兵に襲撃されるといった危機的状況を体験しました。
少年が兵士になっているという実情にショックを受けた渡部さんは帰国後、周囲の人たちにそのことを伝えようとしましたが理解してもらえず、そのことがきっかけで、写真で戦争の実情を伝えられるカメラマンになろうと決意したそうです。
その後、コソボ紛争、ソマリア内戦など、130の国と地域の紛争地域を取材しています。
また、テレビ出演した際は、ゆったりとした独特の話し方や、そのひょうきんなキャラクターからお茶の間の人気者となり、MCなどからもイジられるようなシーンもしばしば見受けられましたが、彼が戦場について語る時は一転して、その力説にみんなが真剣な表情で耳を傾けていました。
現在も戦場取材を続けており、国内でも講演会を行うなど多忙な生活を送っているようです。
山本美香さん
山本美香さんは1990年に朝日ニュースターに入社しジャーナリストとしての活動を始めます。
その後、フリーランス、アジアプレス・インターナショナル所属という経歴を経て、1996年からジャパンプレスの記者となります。
初めて戦場を訪れたのは、当時まだタリバン支配下にあったアフガニスタンでした。
そこで、外を歩くことすら禁じられている現地の女性の声を世界に発信するなど、山本さんは戦場で生きる女性や子供たちの姿を多く伝えてきました。
公私ともに15年来のパートナーだったジャパンプレス上司の佐藤和孝さんは山本さんについて、「突出して使命感があるとか、パワーがあるといったことはなく、普通の女性だが、ともに戦場を取材していたロイター通信のカメラマンが砲撃で亡くなった際には、戦争という不条理に対する怒りをあらわにするなど、曲がったことが嫌いで、一本の芯が通った人だった」と語っています。
山本さんは2012年、シリア内戦の取材中にシリア北部のアレッポにて銃撃を受けて亡くなりました。享年45歳でした。
山本さんが銃撃された理由については、持っていたカメラが銃に見えたからだと言われていましたが、真相は定かではありません。
山本さんは「戦争」ではなく、そこにいる「人」を伝えようとしました。
「伝え、報道することで社会を変えることができる。私はそれを信じています。」
「生まれた場所、時代が違うだけで、同じ人間が酷い目にあっていることをちゃんと見てほしい。想像してほしい。」
この言葉にも、山本さんの戦争という不条理を憎む気持ちと、一本芯の通った性格が表れているように思います。
まとめ
戦場に行くジャーナリストの方やカメラマンの方に対して、「護衛する兵士の足手まとい」とか「それで捕まったりされるのは迷惑、自己責任」といった批判の声もあります。
そういった考え方も間違いではないのかもしれませんが、現に私たちは彼らの活動を通じて、戦場のことを知ることができています。
そして世の人々が戦場のこと、そこに生きる人々のことを知るということは、決して無駄なことではないはずです。