【勉強熱心な幽霊!?】夜歩く二宮金次郎像
皆さんの学校の校庭には「二宮金次郎像」はありましたでしょうか?
自分が通っていた学校には像が無くても、薪を背負って本を読みながら歩くあの姿を知っている方も多いのではないでしょうか。
勉学に励むことの象徴として設置されたこの像ですが、やはり人の姿をしたものというのは恐怖の対象にもなるらしく、いつの間にか二宮金次郎像にまつわる怪談は、数ある学校怪談の中でもメジャーなものとして語られるようになりました。
二宮金次郎像にまつわる怪談
二宮金次郎像にまつわる怪談で多いものとしては、やはり「夜になると歩き回る」というものです。
もともと歩いている姿を表現した像なので、このような怪談が生まれたのは必然といえば必然ですね。
また、像が「涙を流す」「血の涙を流す」というのも多いようで、少数派としては「薪の数が減る」「持っている本のページがめくれる」といったものがあります。
ちなみに、かつて少年ジャンプで連載していた漫画「地獄先生ぬ~べ~」では、歩く二宮金次郎像を悪霊だと思って子供たちは怖がっていたが、実は別の悪霊から二宮金次郎像が子供たちを守っていた、という話がありました。
そもそも二宮金次郎って誰?
この像のモデルになっている二宮金次郎(尊徳)は江戸時代後期に農政家として活躍した人物でした。
百姓という身分に生まれながらも、生家を再興した手腕を藩の偉い人に認められ、荒廃した村落の再興にも貢献します。
晩年は普請役として幕臣となり、日光の立て直しを手掛けるその途上70歳で病没しましたが、彼の教えは門人たちを通して後世に語り継がれました。
彼は14歳で父、16歳で母を亡くして叔父に預けられるのですが、「百姓に学問はいらない、仕事しろ」とする叔父の管理下でも勉強をするため、像のように薪を背負いながら本を読み勉強していたとされています。
この逸話が「勤勉」の象徴として像となり、学校に置かれるようになったんですね。
学校から二宮金次郎像が消えている
さて、ここまで書いてきたように勤勉の象徴として、昭和初期に全国の小学校に設置された二宮金次郎像ですが、ある時期から撤去されるようになり、現在ではその姿を見ることは稀になってしまいました。
その背景には、「子供が働く姿を勧めるべきではない」や「歩きながら本を読むのは危険」といった声があったそうです。
さらに今の時代では「歩きスマホを肯定しかねない」という声もあるとか。
それはもはや違う話のような気もするのですが・・・。
また、戦時中の国家総動員法により、民家の金属製品と同じく、二宮金次郎像も武器の原料として回収されていったということもありました。
これには二宮金次郎もガッカリですね。
まとめ
撤去などもありましたが、最近ではやはりその人間性などを見直す動きも出てきていて、座った状態の二宮金次郎像が設置される学校もあるようです。
これだとたぶん叔父さんには怒られるでしょうね。
怪談として扱われるのは、そもそもこういった像全般に恐怖を感じるからであって、キャーキャー怖がっていた子供たちの大半は「二宮金次郎」という人物の人となりを知らなかったのではないでしょうか。
そして、それはおそらく「ふさわしくない!」と騒いでいたPTAやらなんやらの親たちにも言えることでしょうね。
ものごとの表面だけを見るのではなく、この人物はどうして像にまでなったのか、この像を作った人はどういったことを子供たちに伝えたかったのか、そのような本質を考える力を育むのも、学校教育の一つのあり方なのではないでしょうか。