自分の兄を射殺した相手を抱きしめた男性の行為は間違っていますか?
アメリカは一般人による銃携帯が許されている銃社会です。
市民が武装することも自由だとか、犯罪が多いため護身用として必要だとか、銃を規制しないことにも理由があるようですが、銃社会であるが故の悲劇も後を絶ちません。
白人女性警察官が勘違いで黒人男性を射殺
2018年9月6日、テキサス州ダラスに住む警察官だったアンバー・ガイガー被告は、自宅と勘違いして、自分の部屋の一階上の部屋に住むボッサム・ジーンさんの自宅に侵入。部屋にいたジーンさんを不法侵入者だと思い込み、持っていた銃で射殺しました。
この事件で今年10月1日、ガイガー被告はジーンさん殺害の罪で禁固10年の有罪判決を受けました。
すると判決が出た直後、殺害されたジーンさんの弟、ブラント・ジーンさんは「可能かどうか分かりませんが、彼女(被告)を抱きしめても良いでしょうか?」と裁判官に尋ねます。
この発言に裁判官は戸惑いましたが、その後も「お願いします」と繰り返すブラントさんに許可を出します。
ブラントさんは席を立ち、ガイガー被告に近づくと「本当に謝罪の気持ちがあれば、あなたを許します」と言い、彼女を抱きしめました。
ガイガー被告は大きな声を上げて泣き出し、その様子を見ていた兄弟の母親のアリソン・ジーンさんも、目を覆って泣き崩れる様子が映されていました。
判決に批判の声
ガイガー被告に対する禁固10年という判決に、アメリカの黒人団体は、短すぎると批判の声をあげています。
アメリカでは未だ人種問題が根強く残っており、かつて有色人種を撃った白人警官が無罪になったことなど、明らかな白人優遇を疑問視する声も少なくありません。
被告にも悪意があったとは言えないこの事件。禁固10年という判決を皆さんはどう思いますか?
ネットでも批判の声
この件に関して、ネット上では日本人からも批判の声が多いことに私は驚きました。
判決に対しての批判はまだ分かるのですが、中には被告を許すと言ったブラントさんに対して、「許す許さないはこの人が決めることじゃない」とか「自己満足だ」といった批判の声も見受けられました。
そもそもブラントさんが言った「許す」という言葉は、何も「法律上で無罪にする」とか、殺害されたお兄さんの代わりに自分が「許す」という意味で言ったわけではないように思えます。自分の中で「許す」か「許さない」かを決めるのはブラントさん自身です。
また、自分のお兄さんが殺害されているのに、「自己満足」程度の気持ちでこのような行動がとれるとも思えません。
どう考えてもブラントさんのこの行いは称賛されるべきもののように思えるのですが、それを批判する声が出てしまうのは悲しいことです。
それでも銃が無くならないアメリカ
今回の事件は、アメリカが銃社会でなければ、少なくともジーンさんが亡くなるような事態は防げたかもしれません。
それでもアメリカから銃は無くなりません。
たびたび銃乱射事件が起きているにも関わらず、銃は保護されてきました。
「身を守るため」とか、いろいろお題目を並べていますが、結局はガンマニアみたいな人間たちが、自分の趣味のために銃規制に反対してるようにしか思えないのは私だけでしょうか?
人の命よりも自由が大事という考え方はいかがなものかと思います。