【私の読書感想文】島崎藤村『破戒』
2020年の目標は、お洒落なカフェと本が似合う「文学的サワヤカ草食カフェオレ風読書系男子」になること。
そんな私が今年一発目に読んだ本はというと・・・
デデン!!
島崎藤村の名作『破戒』
「純文学」というヤツですね。気分は又吉です。
そんなわけで、この本を読んでのアレコレを書いていきます。
ちなみに、作品の内容に触れていくにあたって、部落に関する差別的な用語なども使用していきますのでご留意ください。
あらすじ
被差別部落に生まれた主人公・瀬川丑松は、「(穢多であることを)隠せ」という父親の戒めを守って今日まで生きてきた。
教員としての職にも就き、生徒たちからも慕われる人格者であった丑松だが、様々な出来事が重なり、やがて自身の出自を周囲の人々に明かす決心をする。
父親の戒めを破る「破戒」の結果、丑松を待ち受ける運命とは・・・
登場人物
瀬川丑松・・・主人公。被差別部落出身。生徒や友人から慕われている。
猪子蓮太郎・・・被差別部落出身。その出自を明かしたうえで本などを書いている。丑松が敬愛する存在。
お志保・・・丑松が恋する女性。両想い?
土屋銀之助・・・師範学校時代から付き合いのある丑松の親友。いい人。
校長・・・丑松らの学校に新しく着任した校長。丑松と銀之助をいぶかしく思う。
勝野文平・・・校長の腰巾着。
ぶっちゃけ読みにくい
実は私、この本を購入したのはもう何年も前の話です。その時は途中まで読んで、そのまま放置してしまいました。
この本が書かれたのは明治時代ですが、言葉の言い回しなどはそこまで現代語と違いはありません。現代人には分かりにくい言葉には注釈も付いています。
それでも読みにくいと感じたのは、物語の本筋の合間合間に書かれた情景描写などが分かりにくかったためかと思います。
一例を挙げますと・・・
それは割合に気候の緩んだ晩で、打てば響くかと疑われるような寒夜の趣とは全く別の心地がする。天は遠く濁って、低いところに集まる雲の群ればかり稍仄白(ややほのじろ)く、星は隠れて見えない中にも唯一つ姿を顕したのがあった。往来に添う家々はもう戸を閉めた。ところどころ灯は窓からもれていた。何の音とも判らない夜の響きにすら胸を躍らせながら、丑松はシンとした町を通ったのである。
島崎藤村『破戒』より
「で?」って感じです。言いたいことは何となく分かるのですが、はっきり言って非常に分かりづらくて長い。本筋と関係なければ読み飛ばしたくなる。
「それは澄み渡った冬の夜だった」とかじゃダメ?
このような部分がけっこうな割合で出てきます。
そもそも、「純文学」というものは、現代で広く読まれている小説のように、「娯楽性」を重視して書かれたものではなく、「芸術性」を重視して書かれたものだそうです。
要するに、純文学とは「ラッセン」ではなく、「ピカソ」や「ゴッホ」の絵ということでしょうか?
「ラッセン」ファンの人、すみません。私もラッセン大好きですので悪しからず。
そのため、私のような芸術的感性に乏しい人間からすると、「?」な部分がどうしても多くなってしまうのです。
しかし、そういった部分を考慮しても、やはり最後まで読むべき価値がある作品だと思います。
いかにして丑松が周りの人々にルーツを明かしていくのか?それを聞いた時の周りの人々の反応は?丑松を慕ってくれていた人々、丑松を疎ましく思っていた人々、それぞれの反応は?
こういった部分が気になって気になって、ラスト100ページくらいは一気読みしてしまいました。
部落差別について
この作品の大きな軸となっているのは、やはり「部落差別」の問題でしょう。
作品中には、「穢多(えた)」や「新平民」といった、昨今のテレビでは放送禁止用語扱いになっている言葉が多く出てきます。
私が子供の頃の歴史の教科書には「えた・ひにん」という言葉が出ていましたが、今は削除されているのかな?
昨今では部落というものを意識するような人は少なくなっていますが、それでもやはりどこか腫物に触るかのような空気が残っているのは否めません。
私が社会人なりたての頃に受けた営業研修の中で、「政治、野球、部落に関することはタブーだから、お客さんの前でこれらの話はするな」と教わりました。
実際、過去にお客さんと雑談をしていた営業マンが、「穢多」という言葉を冗談交じりで使ったら、それまでフレンドリーだったお客さんが激昂して大クレームになってしまったそうです。
今日においては、こういった部落差別を見かけることが多いのは、「都市伝説」に関することが多いように思います。
福岡の有名な都市伝説「犬鳴村」に関しても、被差別部落がその由来であるという説がありますね。
人種差別の多いアメリカなどから見ると、「日本は差別が少ない」と思われがちですが、日本においても平安時代頃には既にこの「穢多」という言葉があり、差別があったようです。
まとめ
この『破戒』は、それまで詩をメインで書いていた藤村にとって、初の長編小説だったそうです。
彼がなぜ、記念すべく第一作に「部落差別」というテーマを持ってきたかは、今となっては想像するしかありません。
しかし、それだけ明治期の社会において、この問題が大きな存在であったことは想像に難くありません。
1つの文学作品としてだけではなく、当時の日本を生きていた人々の心を知るためのツールとしても、この『破戒』という作品は有用なのではないでしょうか。