まこっちゃんのそれなり日記

才能なしキャリアなしの30代男が気になったことについて書く雑記ブログ

日本を震撼させた信仰事件5選

人類は古くから「信仰」という概念を生み出しており、現在も世界には大小様々な宗教が存在しています。

 

その多くは、信仰する人々の心の安らぎを目的としたものであることでしょう。

 

しかし、長い宗教の歴史においては、極端で危険な思想に発展するカルト宗教や邪教の類いも少なくありません。

 

そんなわけで今回は、日本で起きたカルト宗教絡みの事件について紹介していきます。

 

 

 

大ちゃん事件

1985年6月6日、神奈川県川崎市において、自転車に乗っていた10歳の男の子がダンプカーにはねられる事故が起きました。

 

男の子は聖マリアンナ医科大学病院の救急救命センターに運び込まれましたが、出血が酷く、輸血が必要な状態でした。

 

担当した医師はこの件を駆けつけた両親に伝え、輸血のための承諾をもらおうとしましたが、なんと両親は息子への輸血を拒否します。

 

というのも、この両親はキリスト教系新興宗教「エホバの証人」の信者であり、「輸血は聖書で固く禁じられている」という理由で輸血を拒否したのです。

 

医師やセンター長は父親を必死に説得、男の子本人も「生きたい」と訴えかけましたが、父親は「たとえ息子が死ぬことになっても、聖書にある復活を信じているので輸血は承諾できない」とし、その後男の子は出血多量で死亡しました。

 

この事件では、輸血をしなかったことと男の子の死亡に因果関係を認めることは難しく、両親が罪に問われることはありませんでした。

 

 

藤沢悪魔祓いバラバラ殺人事件

1987年2月25日、神奈川県藤沢市のアパートの一室で、2人の男女が遺体を切り刻んでいるのが発見されました。

 

2人は部屋に捜査員が踏み込んできても気にすることなく、一心不乱に遺体損壊を続けていたとのこと。

 

遺体は横須賀市に住むミュージシャンの男性で、加害者は被害者の従兄弟と、被害者の妻でした。

 

逮捕後、2人は「被害者に悪魔が取り憑いたから殺した」と供述しています。

 

被害者及び加害者の3人はいずれも横浜市に拠点を構える神道系新興宗教「大山祇命神示教会」に入信しており、「この世を悪魔から救う救世の曲を作る」として集まっていたようです。

 

やがて被害者が「俺にも悪魔が取り憑いた」と言い出し、加害者らは「悪魔祓いの儀式」と称して被害者の首を絞め殺害、さらに内臓にも悪魔が取り憑いているとして遺体をバラバラにしました。

 

 

紀元会集団暴行死事件

2007年10月15日、長野県小諸市の神道系宗教法人「紀元会」において、信者の女性に暴行を加えて死亡させたとして、教団幹部の窪田康子が逮捕されました。

 

この事件では暴行に直接関わったとして、未成年者4人を含む21人の女性信者が逮捕されています。

 

暴行は被害者女性が退会の意を示したことが発端となり、エスカレートしていったとのことです。

 

女性の遺体の上に小さい子供を乗せるなどといった異常な状況も記録されています。

 

 

成田ミイラ化遺体事件

1999年11月11日、千葉県成田市にあるホテル従業員から、「4か月以上も宿泊している不審客がいる」との通報がありました。

 

警察が件の部屋に入ると、そこにはミイラ化した男性の遺体があったことで事件が発覚。

 

この事件で、自己啓発セミナー会社「ライフスペース」代表の高橋弘二が殺人容疑で逮捕されました。

 

高橋は自身を「サイババに指名されたシャクティパット・グルである」と言い(サイババ氏は否定)、相手の頭に軽く触れるだけで病を治せる「シャクティパット」を行える導師であると吹聴していました。

 

これを信じた男が高齢の家族を連れ出し、高橋による治療を受けさせるも、その後死亡した、というのが事件の経緯です。

 

この事件では高橋に殺人罪で有罪判決が下りましたが、高橋は逮捕直後「ミイラには15℃の体温がある。死んでいれば体温は0℃になるはずであり、従ってミイラは生きている」とし、その後も「(被害者は)司法解剖されるまで生きていた」と主張し続けました。

 

 

オウム真理教による数々の事件

これはもう皆さんご存知ですよね。

 

坂本弁護士一家殺人事件や松本サリン事件、さらには地下鉄サリン事件を起こし、日本中を震撼させたオウム真理教。

 

それでも未だにオウムの後継団体では、麻原彰晃こと松本智津夫を神として崇める人々がいるそうです。

 

 

まとめ

盲信・妄信することの恐ろしさを感じさせる事件の数々を紹介してきました。

 

こういった事件を起こすような人は、もはや自分で考える能力を奪われてしまっているのでしょう。そして教祖に言われたこと、経典に書いてあることが絶対であると信じてしまう。

 

宗教世界では、とかく悪魔という存在が描かれがちですが、人間こそが悪魔となりうる存在なのではないでしょうか。