海軍とスケバンから見るセーラー服の歴史
日本においては、女子学生の制服として馴染み深い「セーラー服」
しかし、セーラーとはもともと「水夫」を意味する言葉であり、セーラー服も海軍の軍服として着られていたものなのです。
なぜそんな軍服が日本においては女子学生の制服となっていったのでしょうか?
そんなわけで、セーラー服の謎について調べてみました。
もともとのセーラー服
先にも述べたように、セーラー服はもともとは海軍の軍服であり、イギリス海軍で採用されたのが始まりだと言われています。
アメリカの海軍と違い、イギリスの海軍では19世紀中ごろまで、「制服」というものは一部将校のみが着用するもので、一般兵の服装に規定はありませんでした。
そのような状況もあり、1853年、ハーレクイン号の艦長ウィルモットは、乗組員全員に道化師の格好をさせるという「IT」っぷりを発揮します。
これにより、乗組員全員がペニー・ワイズと化したことで、ハーレクイン号だけでなく、海軍全体がはひんしゅくを買うこととなり、1857年にはセーラー服が海軍全体の制服として取り入れられるようになりました。
なぜ女子学生服になったのか?
なぜ、海軍の軍服が女子学生の制服になっていったのでしょうか?
イギリス海軍でセーラー服が採用されてからというもの、ヨーロッパの貴族たちの間では、子供たちにセーラー服を模した服装をさせることがブームとなります。
そのブームは過熱し、終いには現在の日本でいうところの「小学校」クラスの学校において、セーラー服が制服として用いられるようにまでなりました。
この「子供たちの制服にセーラー服」という流れが、外国人教師などを通じて日本に流入してきたことが、日本でのセーラー服の始まりなのです。
日本でのセーラー服起源は諸説ありますが、最も有力なのは1920年に京都の平安女学校で導入されたのが始まりという説です。この時は、上下が繋がったワンピース型のセーラー服にベルトを締めるというスタイルだったようです。
その後、愛知、神奈川、福岡などの各地で、現在のような上下セパレート型のセーラー服が導入されるようになります。
スケバン時代
今でこそ、「JKの制服」としておっきいお友達からいやらしい目で見られるようになったセーラー服ですが、不良や校内暴力が社会問題と化した1980年代においては、セーラー服は「スケバン」などの影響で不良イメージが強く、バリバリでした。
男子の不良の間で長ラン・短ランなどの変形学生服が流行るのと同じように、女子の不良の間では地面スレスレまで長くしたロングスカートのセーラー服が権力の象徴となります。
この時代の流行語も・・・
「なめんなよ」
「あんた、あの娘のなんなのさ」
「ケツの穴に手ぇ突っ込んで奥歯ガタガタ言わせたろか!」
「ヒューヒューだよっ!」
などの不良言葉が多く、「不良」は一つの文化となっていました。
このような不良への対策として、全国の学校では変形や着崩しの難しいブレザータイプの制服を導入。
それにより、「ブレザーって可愛くてチョベリグだよねー」といった女子生徒が増えていき、次第にセーラー服は減少の一途をたどることとなります。
2020セーラー服コレクション・冬
あげないっ♪